19世紀的近代知のマトリクス
星虹OSの柱
はい、それでは、星虹OSの肝となる部分ですね。近代的知のマトリックスに入っていきたいと思うんですけれども。これはですね、近代的なひとつ古い知識ですね。大体、思想っていうのは100〜200年一般的に普及するのに時間が掛かるって言われてますんで、 100〜200年前には学問的には出てきてたんですけど、ただ我々はまだ近代的な知の古い考え方を採用してることが多いんで、我々の一般的な考え方はまだまだこの考え方になってるって思った方がいいと思います。
で、二元性、分析性、合理性っていう風に分かれるんですけど、二元性っていうのは先程やりましたが、物とか心に分かれていくよっていう考え方ですね。で、世界観としては物心二元論。物と心は2つに分かれてくよっていう考え方ですね。 これそもそもですね、哲学者で思想家のデカルトさんという方がですね、全体的な基礎の礎を考えていった訳ですね。で、デカルトさんがね物と心に分けていったりとかですね、色んなね弊害をこの考え方は生んでいきました。
物心二元論
物心二元論っていうのは、物と心に分けて考えたよってことですね。人間というものを物と心に二つに分析して考えたっていうことですね。で、これ人間観になっていくとどうなるかっていうと、自我中心主義になってきます。物と心を二つに分けるとどっちが大事だっていう風に、大体二つに分けるとどっちかが中心になってくる訳です。で、真ん中に自分、周りに周辺の他人っていう風に置いた訳ですね、自我中心主義だと。なので、もちろん真ん中にある自分っていうのが一番中心になってきて大事っていう風になってくるので、その周辺っていうのは、おざなりになってくる訳ですね。そういう人間観が生まれていった訳です。
普遍主義
で、それを学問に採用していくと、今度は普遍主義っていう風になってきますね。この真ん中にある自分っていうのが普遍性を持ってて大事なものであって、その周辺ていうのはあんまり大事じゃないというような考え方ですね。で、これを現実に進めていったのが、例えばヒトラーだったりする訳ですね。差別主義だったりする訳です。なので、この自分メインの中心主義が周辺と格差をね、どんどんどんどん生みだしていく訳ですね。中心の自分っていうのがすごく大事で、周辺のものはあまり大事じゃないっていう風に、どんどんこう優劣がついてくる。これがね自我中心主義とか普遍主義の凄く問題点というか課題点な訳です。常識って言われているものがある訳ですよね、普遍主義の中には。で、この常識っていうのは本当に常識かどうかっていうのは疑わしいですよね。だって、世の中で本当に常識って言われているもので、覆ったものっていうのは本当にたくさんある訳ですね。例えば、地球は昔は空が回ってると思ってた訳ですよね。なんだけど、実際はね地球が廻ってた、太陽の周りを廻ってたっていう風になった訳です。
原子論
で、分析性ですけれども、原子論という考え方があって、この原子論は物をどんどんどんどんこう突き詰めて小さくして割っていくと、最後は原子っていうものにたどり着いて、この原子っていうのが大元で世界はできてるんだっていう考え方ですよね。なので、これも二つに割っていく考え方になる訳です。大元は原子。でも、実際はね、本当に大元があるのかっていうのは疑わしくて、原子よりももっと小さいものが見つかったりとかね、それがもっと元になるんじゃないかという考え方ができてきたりとかする訳ですよね。で、大元は本当に神みたいなものとかサムシンググレート、世界の大元となるものがいるんじゃないかとかっていう想定まで出てきてますけど、これもまた確かめようがないですし、まだわかんない訳ですよね。なので、この原子っていう考え方もちょっと疑わしくなってきてる。
個人主義
で、これを人間観まで推し進めたのが個人主義ですよね。社会の構成要素を小さくしていくと、個人というものになるので、個人が社会を構成してるんだと。個人一人ひとりが 他人に迷惑をかけない限りは、個人を大事にしていくって人間観がここで 重要になってきた訳ですよね。多くの人は、無意識でこれを採用していると思います。井上陽水さんの「傘がない」という歌詞に上手く表現されていて、都会では自殺者が増えているのに主人公が心配しているのは「今日の雨のことで、傘がなくてどうしよう」ということだという個人主義の自己中心性を問題提起した詩です。最近では、メンタリストのDaiGoさんが「ホームレスはいらない」という発言をして炎上していましたが、結局は個人主義という前時代的な価値観による発言だったことが原因ですので、それを是正しようという動きは良いことではありますが、DaiGoさんを叩いている人ひとりひとりが、本当に自分自身が個人主義という価値観に毒されていないか胸に手を当てて考える必要はあると思います。
要素還元主義
これを学問的な方法論に持っていくと還元主義ですね。要素還元主義とかって言いますけど、全体をこう割っていって、切り分けていって 、その構成要素を分析していって、で、それをもう一回集めれば、また全体ができますよねっていう考え方ですね。で、これ何で問題なの かっていうと、講義の最初の方にも言ったかと思うんですけれども、例えば、人間を考えてほしいんですね。人間を、どんどんどんどんこう切り分けていって分析していったとしますよね、臓器とか含めて。で、それを元に戻したらどうなるかっていうと、決定的なものが失われてるんですよね。これ、命が失われるわけです。なので、死んじゃったら元に戻しても人間じゃない訳ですよね。だから、バラしたら元に戻るよねっていう考え方はもしかしたらね、機械とかだったら成り立つけど、人間とかそういう有機体、生命体だったら上手くいかない考え方な訳ですね。なので、この辺でも 課題、問題点ってのは見つかっている訳です。
機械論
で、この世界観、3つ目の合理性ですけれども、合理的に考えれば、すべてうまく行くよっていうのがこの時代の考え方でした。 世界観としては、特に機械論ですね。機械のように世界を見てましたし、人間も例えば 動物なんかを機械であるように考えてた訳ですね。なので、感情とかそういったものを想定せずに、分解すれば全て仕組みも分かると思ってたし、それが 科学の発展にも繋がった訳ですけれども、極端に 機械のように捉えていて、自分とこの世界とか社会っていうのを切り離し過ぎていたんですね。凄く客観的に見過ぎていたので、本当に機械のように見ていて、それが色んな弊害を生み出していった。例えば、核爆弾を作り出してしまったっていうのも科学の悪い面が出ちゃった訳ですよね。人間を破壊する兵器なのにも関わらず、科学研究の成果っていうのを恐らく科学者っていうのは使ってみたいと思ったんでしょうね。そういう興味の方が優先しちまったっていうのがここはひとつ合理性が勝ってしまった訳ですね、倫理観に。臓器移植などもこの例です。そういう世界観を生み出していったっていうのが一つあります。
合理主義
で、これが人間観まで発展していくと啓蒙主義、合理主義ってなっていく訳ですね。人間はどんどんどんどん理性的に開発していけば進歩発展していくし、どんどんどんどん賢くなっていくし、素晴らしくなっていくんだという考え方ですね。ただね、先程言った通り、人間も合理的に合理的に突き詰めていっても、核を生み出したりとかそういった倫理性・合理性とは反するような、長期的には非合理な結果を生む動きを見せてしまうっていうことも起こり得る訳ですね。短期的な合理性を追求していった末路ですね。ですので、ここにも人間観としての欠陥が少し見られるんじゃないかなという風に思います。
決定論
で、これ学問に展開していくとどうなるかっていうと決定論な訳です。過去を完璧に学べば現在を完璧に予測することができるし、それで未来を自分の思った通りに動かすことができるっていうのが決定論ですね。なので、この考え方で言うと、例えば神は存在すると思うだろうし、未来は確実に予測できると思う訳ですね。でも、先程言った通り、不確定性原理の数学的証明により未来を確実に予想することはできない。天気予報っていう考え方説明しましたよね。これ最初、天気予報って言われてたのが今は気象情報って変わったわけですね。天気は確実に予想することはできないんですね。何十パーセントっていう風な確率で示すことはできるけど、明日100%雨が降るって言いきることはもうできないということが証明された訳ですね。なので、気象情報ってなってる訳です。つまり、決定論っていうのは、未来を決定できるっていう考え方、合理的に考えれば未来は確実に決まるんだっていう考え方ですが、これは少しおかしいというか、学問的に問題点も多くある考え方っていうことが分かってきた訳です。
なので、こういった近代的な考え方をどうやって超越していくか、この問題点ね、出てきた問題点をどうやって乗り越えていくのかっていうのがひとつ今、現代の課題として我々に課されているものと思われます。ですので、エデュセルフォーガでもこの課題に対して、積極的に考えて 解決策を見つけ出していくっていうことをやっていきたいと思っています。
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